太氣至誠拳法(太気拳)とは

What is Taikiken
意拳創始者・王向斎(左)とその弟子にして太気至誠拳法創始者・澤井健一(右)
意拳創始者・王向斎(左)とその弟子にして太気至誠拳法創始者・澤井健一(右)

太氣至誠拳法(太気拳)とは

澤井健一宗師が中国において王向斎(オウコウサイ)宗師より学んだ意拳(大成拳)をもとに、師の許可を得て創始した拳法。
「立禅」「揺」「這」「練」で「内功」を養う、気功を基本とした独特の練習体系と、実戦における実力の高さで知られています。

意拳の歴史

意拳は別名を大成拳といい1920年代に中国で王向斉(1885~1963)により創始された拳法です。 王は中国河北省深県に生を受け、幼少の頃より形意拳の稀代の名人といわれた郭雲深のもとで武術を学びました。
(形意拳、太極拳、八卦掌の三拳は内家拳と総称され、気を練り内功を養うことを特徴としています。)

郭は王の素質を見抜き、他の弟子とは異なるやり方で王を鍛えました。

その方法とは、形意拳をはじめ中国武術の基本であった套路(型)中心の練習ではなく、 ほとんど動くことのない「站椿」(タントウ、立禅)を徹底的にやらせることでした。

こうした練習に当初は疑問を抱いていた王も、やがて師の力の源がこの地味な練習にあることを悟り、 さらなる猛稽古を続け武の実力を高めていきました。

師・郭雲深の死後、王は中国国内における武者修行を開始。
他流派との交流の中で、それぞれの武術に共通するエッセンスともいうべきものを見出した王は、 それを郭より学んだ武術と融合させ、新しい拳法を創始したのです。 それは站椿(立禅)を重要視し、形意拳に伝わっていたわずかな型すら廃した独自の練習体系を持つ武術となりました。

この拳法の名称の起源については諸説ありますが、「形意拳より形を無くした」という意味で、 創始者である王が「意拳」と呼んだという説が有力です。 意拳創始後も王は国内外の武術家と試合を重ね、これをすべて打ち負かしました。
これにより武術家としての王の名声は揺るぎないものとなり、やがて「国手」(国家を代表する拳法家)という称号を受けるに至ったのです。 さらには、王の評判を知った当時の北京市長・張壁等の有力者が 「中国拳法を集大成した拳法」との意味を込めて「大成拳」という尊称を贈り、大成拳の名は王の拳法の通称となったのです。

意拳創始者・王向斎(オウコウサイ)
意拳創始者・王向斎(オウコウサイ)
太氣至誠拳法創始者・澤井健一
太氣至誠拳法創始者・澤井健一

太氣至誠拳法(太気拳)の歴史

1931年、一人の日本人が軍の任務で中国に渡りました。 澤井健一(1903~1988)は福岡県に生まれ、幼い頃から武術に親しみ、隼流館(双水執流)、講道館柔道、剣道、居合道等の流派を学びました。

柔道五段、剣道四段、居合道四段の澤井は、ある日中国人の友人から「国手」王向斉についての噂を聞いたのです。 その友人の紹介で王に面会し、手合わせをする機会を与えられました。 当時の澤井は30代も半ばの最も脂の乗りきった屈強な男。対する王は痩身で小柄な老人。
澤井の勝利は揺るぎないものに思えました。
しかし実際に試合がはじまってみると、澤井の繰り出す柔道の技は王に完璧に封じ込まれ、それならばと剣道の技で挑みかかっていくも、 これも棒切れ一本を持った王に簡単に払われ、澤井は完敗を喫してしまいました。

これにより完全に自信を失った澤井は熟考の末、王への弟子入りを決意することとなります。
外国人の弟子を持たない主義の王にはじめは門前払いを食った澤井でしたが、諦めることなく連日王のもとへ参じ入門を懇願しました。 澤井の熱意を汲んだ王は約一週間後に澤井の入門を許可するのですが、その際に澤井は「決してこの武術の修行を止めません」という血書まで書くのです。

王の高弟である姚宗勲(1917~1985)に預けられた澤井は、站椿を中心とした意拳の修行を開始。 その後、王から直接指導を受けるようになった澤井は、姚宗勲ら兄弟弟子と共に厳しい修行を続けました。

1945年8月。終戦。 日本への帰国を果たした澤井は、師の教えを遵守し、一人で站椿を中心とした修行に励みました。 そして王向斉の命を受け、澤井は意拳にかつて自らが修行した柔道・剣道・居合道等の武道の要素を加え太氣至誠拳法(通称・太気拳)を開いたのです。

太気拳創始後も道場を構えることは無く、東京の明治神宮において指導をしていました。 太気拳独特の立禅(站椿)を中心とした稽古とその後行われる激しい組手、そして圧倒的な武の実力を誇った澤井の存在により、 神宮の杜は当時の武術界において貴重な修練場となったのでした。

1988年7月。澤井健一永逝。

根源の力を養う「立禅」

太氣至誠拳法(太気拳)において基本となる稽古方法が立禅です。 立禅は鍛錬と休息を同時に行う運動です。
自然に立ち、胸の前でボールを抱くように腕を上げます。

気分を落ち着かせ精神を集中し、風を感じるように。 内外の一体感が高まり、身体が整うとともに本能的作用が何の拘束も受けずに自然に発揮されてきます。 無駄な力を使うとその一体感が崩壊してしまうので繊細な注意が必要です。

そして上下の力を軸として、あらゆる方向へ力を発する為の心身の基本構造を養います。 実際の稽古ではこれらの効果ができるだけ早く体感できるよう、イメージ(意念)の用い方、身体の整え方など様々なポイントを学びます。

立禅と根源力について、こちらのページに詳しく記載しました。

自分の中の根元の力を探し、養う「立禅」
自分の中の根元の力を探し、養う「立禅」
立禅で養った根元の力を動きの中に活かす「揺」
立禅で養った根元の力を動きの中に活かす「揺」

根源の力を動きの中に活かす「揺」

片足を前に出した半身での立禅(半禅)から、ゆっくりと糸を繰るように腕を伸ばす、縮める。 立禅を継続すると身体中にバネのような弾力や波を受けたような抵抗感があらわれます。 それらの感覚は微妙なものでむやみに動くとすぐに消えてしまいます。
この抵抗感を利用して全身の筋肉、関節、神経と意識が統合された状態を維持しつつ動く為の稽古が「揺(ゆり)」です。

武術の要、下半身を練る「這」

歩法、下半身が武術の基礎です。 大砲は土台がしっかりしていなければ力を標的に集めることができず、命中させる場所に移動することもままなりません。

「這(はい)」ではあたかも泥の中を這うように、腰を落とし腕を上げ、ゆっくりと歩みます。

スクワットのように筋力を鍛えることが主な目的ではありません。 上半身と同じく、バネのような感覚、波の抵抗があるかのごとく身体を整えて下半身の力を上半身まで伝えることができるように養うのです。

武術の要、下半身を練る「這」
武術の要、下半身を練る「這」
全身をつなげる。統合的な動き「練」
全身をつなげる。統合的な動き「練」

全身をつなげる。統合的な動き「練」

「立禅」で力を養い、その力を「揺(ゆり)」「這(はい)」を通じて動きの中でも維持できるようにします。 そしてその動きをもう少し大きな動きの中で養っていきます。 いわゆる移動稽古のように前後に歩みながら腕を回すような動作、それが「練(ねり)」です。

練にはいくつもの種類があり、その動きと要求されている中身を修得することにより戦いの中でも自らを護り相手を制することができるようになります。

動いても立禅で培った状態を保ち続けることができるよう、身体を餅のように練ってゆくことが重要です。

確認としての「推手」・「組手」

太気拳は昔から激しい組手稽古を通してその実戦性を証明してきました。
そのため、昔から太気拳のことをご存知の方は、危険な武術、怪我が怖い、と思われるかもしれませんので、
私の組手についての考えをこのページに記載しましたのでご覧ください。

稽古を通じて様々な感覚が生じますがそれだけでは実戦には使えません。 畳の上でクロールを覚えても泳げないのと同じです。

そこで対人稽古としてお互いの腕に触れ合い円を描きつつ相手の力を感知し対応する「推手(すいしゅ)」、 そして総合的な「組手(くみて)」を行います。

太気拳に試合はありません。
どちらが勝った、負けたということが目的ではなく、今まで培ってきたことの確認と応用です。
また、組手は希望者のみおこない、おこなう場合も怪我の無いよう、無理をすることはありません。
強くなる為の武術で怪我をして、かえって弱くなるのは本末転倒です。

立禅、揺、這、練、推手、組手と動きが徐々に大きく激しくなり、またそれぞれに名前がついていますが、立禅の状態を拡大維持して動くことが肝要であり、太気拳の稽古は全てが「禅」であると言えます。

確認としての「推手」、「組手」
確認としての「推手」、「組手」
内功(気功)とは自己の内外を一体化し鍛錬するもの

内功(気功)とは

内功(気功)とは自己の内外を一体化し鍛錬するもの。
内外の一体化とは、我々は自然の一部であることを認識、体感することです。
本来は生理的・本能的にそれが自然に行われるはずなのですが、 多くの人は長い歴史過程・社会環境の中でそれを忘れてしまったようです。

内功の稽古の根幹をなすものが立禅です。 これは鍛錬と休息を統一させた運動です。 心拍数を無理に上げることなく鍛錬中に休息し、休息中に鍛錬をすることができるのです。 はじめは思うままに、静かに気分を落ち着かせ、精神を集中します。

鍛錬の際に最も重要なのは感じること、内外を一体にすることです。 山に登り雲海を見渡すかのごとく。呼吸はきわめて自然に心地よく、全身で行います。風、空気を感じ、気持ちは愉快に、そして気持ちよく。
あたかも体中の穴を風が通り抜けるように。感じることで内外を一体してゆきます。 すると身体が整い、本能的作用が何の拘束も受けず自然に発揮されてくるのです。 そこから更に自己の一体感を求めてゆきます。

力を使った時点で一体感は崩壊し失われます。 力を使わない事によって力が湧き出てくるのです。

体験者はそれぞれの身体の強弱や体調によって稽古過程での体感が異なりますが、通常は十日前後の練習により効果を感じることができます。

そして稽古のあとは気楽で愉快な気分になり、この感覚は日々増長します。また数日間の練習で筋肉のふるえ、痛み、だるさ、しびれ、はり等の現象が現れることがあります。 それらの多くは不適切なやり方による筋肉運動の妨げに原因があり、気、血の通りが欠けているか、過度の疲労或いは生理上その他の問題によるものです。
過度の疲労を防ぎ気持ちよさ力強さに注意し、力を求めリラックスし緊張と硬直を避けさえすれば、少しずつ気と血の通りがよくなり、筋肉が活発になり上述の現象が徐々に取り除かれます。
疲労を感じない規律的な震えは、経路と気血の閉塞が取り除かれた際に生ずる現象ですから、ただそのまま自然に従えばそのうちにおさまります。 自然の動きを故意に抑制してはならず、意識的に大げさにしてもいけまぜん。 ほかにも涙が流れる、くしゃみ、げっぷ、おなら、お腹が鳴るなどの現象はみな稽古過程のよい現象で、病が癒えた後に自然とおさまってきます。

内功(気功)について、こちらのページに詳しく記載しました。

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