連鎖反応
July 4th, 2025
稽古における組手は仲間同士、互いを高めるためのものです。
いわゆるマススパーです。
ライオンの子供が兄弟同士でじゃれあいながら闘い方を学ぶことにも似ています。
勝敗を決めたり、相手を傷つけ壊すためのものではありません。
だけどうっかり強めに当たってしまうこともあります。
そんなとき、当てられた側にこんな思いが生じることがあります。
「痛っ!」
↓
「こっちが加減してるのに当てやがって!」
↓
「俺の強さをわからせてやる!」
↓
強く打ち返す。
↓
相手ももっと強く打ち返す。
(以下くりかえし、、、)
殴られたら殴り返す、負の連鎖。
この連鎖は「思い」の連鎖、これが輪廻です。
まさに修羅道です。
秩父の先生にはじめて指導をお願いしたとき、「武術は修羅道だから嫌いなんです。」と断られたことを思い出します。
この連鎖・輪廻を断ち切ることもまた武道の修行です。
「思い」は勝手に、自然と生じます。
これは止めることができません。
「あなたのお母さんのお名前は?」
この文章を読んだら、自分の母親の名前を思い出さずにはいられません。
これが「思い」のはたらきです。
(話が逸れますが「思い」自体には良いも悪いもありません。
「殺したい」こんな思いにさえ、良いも悪いもありません。
ただ「殺したい」です。)
自分の思いは自分でコントロールできていると思っていますが、そんなことはありません。
目が★という外界からの刺激に反応して⚫︎ではなく★と認識したように、
「お父さんのお名前は?」という刺激に対して、今もまた思いがそのように反応しただけです。
このように「思い」は自分でコントロールなどできておらず、刺激に対して刻々と反応をしています。
修行とは、「思い」が生じないようにすることではなく、それをそのままに放っておくことです。
上述を例にとると、
「痛っ!」
痛いのは痛いのでこう思うのは自然なこと。
ここで、このまま放っておければ、それで終わります。
↓
「こっちが加減してるのに当てやがって!」
痛みから連想してこのような思いが連想されました。
痛みをそのままにせず、それに取り合った結果です。
だけど、これを放っておければ、ここで終わります。
↓
「俺の強さをわからせてやる!」
「・・・当てやがって!」という思いを放っておけずに次の連想が起こりました。
ここでも、それに気づいて放っておければここで終わります。
修行が進むと、早い段階で放っておくことができるようになります。
この気づきを得るために自分の思いを観察し続ける、と言うやり方もあるようですが、私がやった禅ではただそのままにしておきます。
殴られたら「痛っ!」。
以上です。
続いて「ムカッ!」。
以上です。
どこでズバッと断ち切れるか。
というか、そもそも断ち切れていることに気づくかどうか。
本当は連鎖なんてない、完全に独立した事象です。
それが「そのまんま」の修行です。
思いが断ち切れていなくても、それはそれでそのまんま、です。
これがはっきりすると、無常、無我というようなことも腹落ちします。

故佐藤聖二先生もお元気でした