25Jul
函館セミナーのおしらせ(2025年10月12日)

函館セミナーのおしらせ(2025年10月12日)

2025年10月12日(日)、函館にて太気拳のセミナーを開催いたします。 太氣至誠拳法(通称太気拳)は中国の意拳、形意拳をルーツとして日本で創始された武術です。 形意拳は、太極拳、八卦掌と共に内家拳と称され内なる気の運用(内功)にその特徴があります。 内功とは何か、いかに養うか、ここに現代の格闘技とは異なる特色と面白さがあります。 本セミナーでは総合格闘技やレスリング、キックボクシングなど...

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21Jul
基準をつくる

基準をつくる

参議院選挙がおわりました。 選挙がきちんとなされる民主主義国家で暮らしていることに感謝です。 今回の選挙ではないですが、ある党の党首が 「今回の選挙で党としての公約はない」と言っておられました。 これまでそんなことは聞いたことがなかったので新鮮な違和感が生じました。 公約=判断基準がなければ、何に向かって行動するのだろう? 余談ですが、中学生のとき森田塾という神戸の六甲にあるス...

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18Jul
荘子 斉物論篇11

荘子 斉物論篇11

「究極の境地とは何か。 是非の対立を越えた是に、いいかえれば自然のままの道に、ひたすら因り従うことである。 ひらすら因り従うだけで、その因り従うことさえ意識しなくなること、これが道の境地である。」 荘子 斉物論篇11(森三樹三郎訳) 事物に良いか悪いか、という判断をつけるのは人の認識です。 ここまでが壁でここからが床、という判断をつけるのも人の認識です。 ここまでが私でここからが私...

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14Jul
空沼岳を歩く

空沼岳を歩く

札幌近郊の空沼岳(標高1251m)に登りました。 往復で17km、約6時間の道程です。 初めてのソロ登山。 登山は慣れた友人としか行ったことがなかったので、ちょっとした挑戦でした。 なんで登山なんてしんどいことするの、と自問しつつ登っています。 好きか、と問われたら好き、と即答できないのに、なんか登ろうと思う。 一人で登り、その理由がわかりました。 「一心」になるときがあるんです...

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10Jul
不安定の安定

不安定の安定

立ち続けること。 「自分の足で立つ」 「最後に立っている者が勝者だ」 「拳王は決してひざなど地につかぬ」 このような言葉にみられるように、立つことは生きること、勝つこと、それらを隠喩し、ときにはそれらそのものでもあります。 太気拳は立禅を通して物理的に安定した立ち方を求めます。 そこで気づくのは、強く安定して立つということは、(動かないように)力を入れて立つ、ということでは...

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7Jul
誰もが生来持つ力

誰もが生来持つ力

「弾力のある身体」を養うことが武禅会の稽古体系の根幹です。 数回の稽古でほとんどの方が理解、体感をすることができます。 (それが体得され、組手において充分な力として発揮されるのには訓練が必要です。) 体感した方に話を聞くとおおむね2種類の意見に分かれます。 ひとつは「これはすごい!!」 もうひとつは「え、こんなこと当たり前じゃない?」 どちらの反応も、本質を体感して頂いたことを示し...

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4Jul
連鎖反応

連鎖反応

稽古における組手は仲間同士、互いを高めるためのものです。 いわゆるマススパーです。 ライオンの子供が兄弟同士でじゃれあいながら闘い方を学ぶことにも似ています。 勝敗を決めたり、相手を傷つけ壊すためのものではありません。 だけどうっかり強めに当たってしまうこともあります。 そんなとき、当てられた側にこんな思いが生じることがあります。 「痛っ!」 ↓ 「こっちが加減してるのに当てや...

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27Jun
意到気到、気到力到

意到気到、気到力到

「意到気到、気到力到」 意がいたれば気がいたり 気がいたれば力がいたる 〜心と身体を貫く武の原理〜 「意到気到、気到力到」という言葉があります。 これは「動き」と「思い、心」の根源的な連動を示しており、太気拳においては、そのまま修行の流れ・心身の調和の道筋として生きています。 この言葉を、太気拳の修行法である立禅・揺・推手などと照らしながら見ると、どのように内面からの統一された動き...

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20Jun
腹に落とす

腹に落とす

武禅会での稽古は、物理面と心理面で腹落ちすることを目的に構成されているともいえます。 ・物理的に腹に落とす 相手からの負荷を腹に落とす、吸収する感覚を養います。 その中心はちょうど腹のあたりに位置する下丹田とよばれるあたりです。 正面から投げられた10kgの球を受けて後ろに下がらないためには、全身、特に下半身を柔軟にしてふんわり受け止めることになります。 私は子供の頃ドッジボールが大...

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16Jun
世界があるというそのこと

世界があるというそのこと

「神秘とは、世界がいかにあるかではなく、世界があるというそのことである。」 ウィトゲンシュタイン・哲学者 「神秘」を「事実」に置き換えてもしっくりきます。 「事実とは、世界がいかにあるかではなく、世界があるというそのことである。」 明確な事実が眼前にひろがっています。 「⚫︎」となったら、そのような様子があります。 迷いようがない、ハッキリとした世界。 人は事実に対したとき、...

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