11Jun
争いには目的がある

争いには目的がある

「戦争とは他の手段をもってする政治の継続である」 「およそ戦争は拡大された(二者間の)決闘にほかならない」 「戦争論」クラウゼヴィッツ 国家間の戦争にも個人の争いにも、理由や目的があります。 その目的が腹が立ったから、というのではあまりに稚拙。 クラウゼヴィッツ先生もそんな目的はきっと認めないことでしょう。 「戦略の誤りを戦術で補うことはできない」 (目的の誤りを、やり方で修正す...

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10Jun
物理的構造がすべて

物理的構造がすべて

武道では意識の力や気の力について語られることがしばしばあります。 ですが物理的な力は物理的な構造によってしか発揮されません。 意識の力や気の力が存在しないということではなく、それらが最終的には物理的な身体構造を変化させ、物理的な力を生むということです。 はじめて自転車に乗るとき、まっすぐ前を見て意識を前方に向けることで乗れるようになるかもしれません。 これは意識の力ではなく、それによっ...

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2Jun
接点以外が動く

接点以外が動く

相手を制したいと欲すれば、相手を自分の思い通りに動かしたくなる。 相手を動かすためには相手に接した箇所を動かしたくなる。 接した箇所とは、多くの場合は手、腕だ。 しかし腕は器用ではあるが胴体や脚より細く、力が弱い。 そんな腕に力仕事を任せるのは酷だし非効率だ。 手には絵を描いたり、背中を掻いたりするような繊細な仕事を任せよう。 腕に頼らず相手に力を伝えるには、触れていないところ...

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30May
まねる、まなぶ

まねる、まなぶ

怒っているフリをするとなんだか腹がたってくる、笑ってみたらなんとなく楽しくなる。 このように身体が心を動かす、ということがあります。 気功は雄大な自然を真似ることにより、その気分に己を同化させる行為ともいえます。 そして気功のひとつである立禅は樹木の真似をしています。 樹木はときに何百年も、静かに生きています。 その身体がたとえ山火事に遭って燃えようとも、じっと、静かです。 (最近...

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26May
自然は「今」のみ

自然は「今」のみ

太気拳の創始者、澤井健一先生は明治神宮の杜を稽古場としていました。 また中国に行くと、朝の公園で気功や太極拳をしている人達がいます。 古来より立禅、気功は屋外でやることが多いようです。 自然のエネルギーをもらい、身体が満ちることが実感できます。 週末にキャンプに出かける方も同じことを感じているのかもしれません。 自然の中にいると、鳥のチュンチュン、風のサーッ、肌がヒヤリ、足がズキズキ...

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23May
六方向への力

六方向への力

太気拳では上下の力が前後左右への力の基本となる。 相手を押す力、押されず踏ん張る力は上下、つまり頭から足裏方向の力によって生み出されたものだ。 押す力、引く力など格闘において相手との間で生じる力、それらは全て足裏と地面との摩擦力から生じている。 いくら胸や腕の押す力が強くとも、地面との摩擦力がなければ力を相手に伝達できず自分が動かされてしまう。 自分が動かずその場にいる重さが維持できて...

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16May
分別の肝要は仁愛なり

分別の肝要は仁愛なり

豊臣秀吉が信頼した知将、小早川隆景の言葉です。 「分別の肝要は仁愛なり」 (物事の判断のポイントは仁愛である。 仁愛を基本に判断すれば、万一判断が外れてもそう大きくは間違わない。) 武術は人間同士のやり取りという意味においてコミュニケーションの一形態です。 格闘技など「試合」の目的は勝利ですが、武術をコミュニケーションと考えれば、最後にはお互いに敬意を持ち握手できるような関係が構...

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12May
四足歩行にもどってみる

四足歩行にもどってみる

ヒトは「前脚」を「腕・手」として使うよう器用に進化しました。 我々は腕や手で対象物を自由に動かし操作することができます。 一方で、腕が器用すぎるがゆえに腕だけで対象物を扱おうとして全身の力が使えないということがあります。 いわゆる小手先の力です。 腕は細くその力には限界があります。 格闘においては全身の力を相手に伝達しなければなりません。 そこで四足歩行の感覚が役立ちます。 四足...

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9May
ハラから力をだす

ハラから力をだす

太気拳気功会に宮崎さんという先輩がいる。 身体が格別大きいわけではないが、宮崎さんの打撃はやたらと重い。 バットで殴られるのではなく、もっと柔くて重いものにぶつかったような衝撃だ。 ガン!ではなくべタン!という感じ。 稽古後、一緒に飲んだ時にその秘訣を聞いたことがある。 「島田先生にハラで打てっていわれたからそのとおりやってるだけ。」 と言って、私の肩に腕を置いてくれた。 するとその...

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5May
武、禅、会

武、禅、会

「武」という漢字は「戈(ほこ)」を「止める」と書きます。 敵の戈(という武器)を止めるのが武。 攻めるのではなく守る行為が語源となっています。(諸説あり) 武禅会では自分の中心・バランスを維持しづつけた結果、攻めてきた相手が勝手に崩れるような組手やあり方を目指しています。 その基本が立禅と相打ちです。 また「禅」という漢字は「示す偏」に「単」と書きます。 単(単純さ、シンプルさ)を...

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