不安定の安定
July 10th, 2025
立ち続けること。
「自分の足で立つ」
「最後に立っている者が勝者だ」
「拳王は決してひざなど地につかぬ」
このような言葉にみられるように、立つことは生きること、勝つこと、それらを隠喩し、ときにはそれらそのものでもあります。
太気拳は立禅を通して物理的に安定した立ち方を求めます。
そこで気づくのは、強く安定して立つということは、(動かないように)力を入れて立つ、ということではないということです。
人間は左右両足裏の2点のみで立っています。
この両脚の間が支持基底面といわれ、重心がその範囲内にあれば安定します。
左右に脚を拡げればこの支持基底面は左右に拡がり、左右への安定感が増します。

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ですが所詮2本しかない脚ですから、この場合前後方向の力には弱く、脚を前後に拡げればこんどは左右の支持基底面が狭くなり、重心がそこから外れやすくなる=弱くなります。
人体が工事現場のパイロンのように円錐形で、接地面が広ければ本当の意味で強く安定して立つことができますが、現実は両足裏という狭い接地面で立たざるをえません。
そこで解決策として導かれるのは、ヤジロベエのような、綱渡りをしているかのような立ち方。
常に微かにユラユラしており、支持基底面から重心が外れそうになったときに全身が変化して維持修正するような、修正能力に富んだ立ち方です。
これは、固定された静止ではなく、絶え間ない微細な動きとバランスの取り直しによって安定を保つ、動的な安定性と言えるでしょう。
このような立ち方は、予期せぬ外部からの力や内部の変化にも柔軟に対応できるしなやかさを生み出します。
重心が支持基底面から外れることを恐れず、むしろその変動を受け入れ、常に最適な位置へと自らを調整し続ける能力です。
これは、レジリエンスの向上ともいえます。
物理的な意味での「立つ」行為は、変化に対応し、しなやかに立ち直る精神性や困難な状況下でも諦めずに生き抜く強靭さにもつながります。
まさに立禅、坐禅はそのようなあり方を求める修行でもあるのです。

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