荘子 斉物論篇11
July 18th, 2025
「究極の境地とは何か。
是非の対立を越えた是に、いいかえれば自然のままの道に、ひたすら因り従うことである。
ひらすら因り従うだけで、その因り従うことさえ意識しなくなること、これが道の境地である。」
荘子 斉物論篇11(森三樹三郎訳)
事物に良いか悪いか、という判断をつけるのは人の認識です。
ここまでが壁でここからが床、という判断をつけるのも人の認識です。
ここまでが私でここからが私以外、という判断をつけるのも人の認識です。
事物(=自然)自体に区別はありません。
修行などせずともすでに「そのまんま=自然のままの道」であったことに気づく、それが修行です。
堂々巡りに聞こえるかもしれませんが、「そのまんま」で放っておきます。
すると放っておけない、ということも放っておかれている、その様子に気づきます。

撮影するとプロペラは止まって見える