ワニとヒト

November 7th, 2011

ワニとヒト
近所の円山動物園に行ってきました。
動物の動きは自然で作為がなく、武術の参考になります。
蛇が木の枝にからみつく姿に、しなやかな背骨のあり方を学び、鶴の足からは、地面を掴むことの重要性を改め教えられます。
これまではそんな「動き」にばかり注目していましたが、今回は「動かないこと」の凄さを感じました。
 
それがこのワニです。
目と鼻だけを水上に出し、ぷかりと浮いています。
微動だにせず、呼吸による胸の動きもありません。
寝ているのかと思いきや、目は開いています。
この状態から一転、獲物が近くに来たときの猛然とした動き。
 
じっとしているとき、きっと昨日のことも明日のことも考えていないでしょう。
ただ、「今」動く必要がないからじっとしているだけ。
「今」周囲に反応すべき対象がないからじっとしているだけ。
だけれども、周囲の環境は知覚している状態。
 
全ての動物は生存競争に生き残る為、特技を進化させてきました。
それは強い牙、大きな身体、素早さや寒さに対する耐性であったり、 暗闇を見通す視力であったり。
 
人間であれば、それは「脳」。
卓越した脳力により人間は70億人にまで増えることができました。
10年前の失敗を繰り返さないよう記憶する能力、10年後を計画する能力が人類の繁栄に大きく貢献したことは疑いありません。
 
しかし、その卓越した能力により悩みや苦しみも増大しました。
明日のミーティングがうまくいくか心配し、退職後の資金不足を心配する。
「備える、計画」することと「思い悩む」ことを混在させてしまうのです。
 
悩みのほとんどは過去への悔恨と未来に対する不安です。
その解決方法の一つとして、「今にあること」という方法があります。
つまり「未来」も「過去」も人間の優秀な脳が作った「空想」であって現実ではないという、考えてみれば当たり前のことをしっかりと認識するのです。
 
今、この瞬間だけが現実であること。
それを理解だけでなく、体感していく行為こそが気功だと感じます。

肌に触れる風を感じ、全ての音を聞き、全てを見る。
普段であれば、車の音が聞こえると
「お、フェラーリの音?」

「欲しいな~」

「いつ買おうかな~」
ととめどなく妄想があふれ出します。
そのとたん、「今」から離れていく。
 
感覚器から入力される全てを受け入れつつも、それらに対しての自主的な反応を やめてみる。
気功をしているときは
「針が落ちてもその音が聞こえる。耳元でドラを鳴らされても驚かない。」
状態と表現されます。
 
気功はもともと何かのマネをすることで発達しました。 熊のマネ、雁のマネなどです。
 
太気拳の基本である「立禅」は、もともとは樹木のマネです。
樹木のようにただ静かに立つ。
樹木は生物でありながら、心が乱れることはありません。
とても落ち着いた存在です。
 
我々は武術家として、物理的な力を発揮するべく立禅を行っていますが、これは 「今ここ」にある為の修練でもあるのです。