武道は遊び
December 30th, 2025
私にとって武道は遊びだ。
これで生活をしているので仕事でもあるが、感覚的にはやはり遊びである。
武道をとおして道を求めている。
道は太極、無為自然、万物斉同、そんな言葉にも変換されるが、
要は⚫️は黒丸でなく⚫️だ、そして最初の⚫️と次の⚫️も別物だよ、ということだ。
お茶を飲めばお茶の味がする。
ワンとあればワン、ニャーとあればニャー、これだけだ。
それが無常であり無我の様子である。
道を求めるといえば大げさだが、なんでもないことだ。
だが、なんでもないからこそ納得ができない。
上述のような言葉で表現しても「だからどうした」となる。
それを体験を通じてはっきりさせるのが修行だ。
荘子は人為的な作為を避け、自然のありのままの姿に従うことを重視した。
「遊」は、この無為自然の境地で、万物と一体となって自由に生きることを意味する。
また「ホモ・ルーデンス(遊ぶ人)」の著者、ホイジンガによると「遊」は、強制されたり義務として行われるものではなく自由意志に基づいて行われる行為とされる。
やりたいからやる。やむをえずやる。
手を叩けば、音はやむをえず鳴る。
これでいいのだ。

シールがあるとついやってしまう


