利尻山にて

August 11th, 2025

ここ数年、友人に誘われたのをきっかけに山歩きをしている。
武道をはじめたのは強くなりたいから、という単純な理由だった。
そして「どこまでも歩ける身体」というのも自分が求める資質だと感じられたので、初心者のレベルながらぼちぼち続けている。

会員のHさんは昔から登山をされているそうだ。
曰く山を歩いていると、感謝の念がわいてくるとのこと。
私にはない感覚だった。
山歩きは私にとっては苦行、トレーニングだ。
汗をかき目標を達成する充実感みたいなものはある。
運動をしたあとの爽快感もある。
だけど山歩きのさなかでは、なんで自分はこんなしんどいことをしているんだろう、といつも自問してしまう。

先日、利尻島に行く機会があった。
せっかくだから、ということで利尻山に登った。
その準備として札幌近郊の空沼岳に登ったのと合わせて、人生二度目のソロ登山。
よちよち歩きの子供が、はじめてのお使いに行くまで成長した。
それでもやはり、山歩きはつらい。
なんで登ることにしたんだろう、といつも通り思う。
だけど今回は理由がある。
この先、利尻島に来たことを思い出したときに利尻山に登らなかったら後悔するかもな、と思ったからだ。
登ったら、たとえ途中で挫折したにせよ事故にあったにせよそれがネタにはなる。
チベットで遭難したことも今では飲み会でのいい笑い話だ。
人生はネタ探しの旅のようなものである。

曇り空のもと、黙々と歩く。
8合目まで歩いたとき、突然雲が消え、青空が広がった。
そしてはじめて利尻山の頂上が見えた。
空の青と山の緑をクッキリと分ける稜線のシャープさに目を奪われる。
そのとき、「(利尻山よ、)姿を見せてくれてありがとうな!」という思いがふとわいてきた。
お、Hさんの言ってたのはこんな感じかな、と考えつつ2時間ほどで山頂。
山頂ではふたたび霧に覆われ何も見えず。
糖質制限をゆるく続けているが、今日は制限解除日とし、山登りで一番の楽しみである山頂での昼ごはん。
セイコーマートの梅おにぎりと賞味期限を過ぎた虎屋の羊羮を食べた。
この神コンボ、松尾芭蕉も旅の道中にやったはず、とか考えながらしばしの至福。

疲れた脚で下山中、濡れた岩場で転びそうになる。
とっさにトレッキングポールで踏ん張り、なんとか転倒を免れた。
そのとき、「(トレッキングポールよ、)助けてくれてありがとうな!」という思いがわきあがるのをふたたび察した。

Hさんに感謝の念がわきあがる、と言われてもそのときはピンとこなかった。
だけど「ありがとう」という気持ちはしばしばわきあがっていたようだ。
ただ「しんどい」「つらい」といった身体感覚に思いの焦点を合わせていたから、そのような感覚に目を向けていなかっただけかもしれない。
心に浮かぶどの思いに焦点をあてるのか、それで世界は変わる。

利尻山8合目にて