無心に、気は発露する
October 17th, 2025
会員の松本さん。
親分肌で器の大きな人だ。
建設現場で働いておられるので、私のイメージは半纏を着た宮大工の棟梁。
以前は芦原空手をされており、組手姿もしゅっとしている。
彼から聞いた話だ。
ある日の建設現場のこと。
2階ほどの高さの足場で足元の工具を取ろうとしたら、そこに足場がなかった。
それで数メートル、落下したそうだ。
大怪我レベルの事故だ。
だが、気づいたら下で立っていた。
落ちる瞬間に「あっ」という意識があり、そのあと覚えているのは、地面に立っている状況だったと。
落ちている瞬間、着地した瞬間などは何も覚えていないそうだ。
ただ身体が、怪我をしないように勝手に、本能的に反応したのだ。
そして、落ちたことが恥ずかしくて、また急いで上に登った、と笑っていた。
これが太気拳における気の発露である。
人は非常時におどろくような力を発揮する。
火事場の馬鹿力とも言えるだろう。
これは誰もが秘めた力であるが、自由に使うことはできないと思われている。
太気拳は、このような力を養っている。
気を満たし、必要なときに爆発させるのだ。
パンチやキックの型が重要なのではない。
バイクで転んでも、誰かがいきなり殴ってきても、咄嗟に反応できる天然自然の能力を開花させたいのだ。
だから太気拳でもっとも大切な修行は立禅となる。
ひとつには、気は、いわゆる「自分」という意識を超えたときに発露する。
実は人は普段から自然にそれをやっている。
たとえば今、自分の鼻を触ってみてほしい。
なぜその腕で、指で、鼻のその場所を触ったのか。
鼻と指の距離を「自分で」測ったか。
この例でわかるとおり、「自分」でやっていることはほとんどないのに、すべて「自分」でやっていると思っている。
だから「自分」をほっぽりだして、身体、無意識に任せるのだ。
難しいことではない、今もずっとやっていることだ。
歩くにしても、細かい制御を「自分」ではしていないではないか。
だが非常時になると、しばしば「自分」があたふたと登場して、身体、無意識を邪魔するのだ。
ふたつめに、このような爆発的な動きを司る、神経系統の訓練である。
ボールを抱く、バネを伸ばす、鎖を引きちぎる、そんないわゆる意念(イメージ)を用いた訓練も、また立禅の重要な側面である。
筋肉は神経の指示によって動かされる。
立禅はそこに焦点をあてたトレーニング法ともいえるのだ。
そして、気の発露は身体的な動きだけに限らないと私は思う。
勉強をするにせよ、仕事をするにせよ、人はなにかに無心で打ち込んでいるとき、能力が最大限に発揮される。
どうせ死ぬのだ。
それまでは思う存分、気を発揮して生きたい。
気の発露について、べつの話。
気の発露

なんで賢そうなポーズしてるん