不動智神妙録(無明住地煩悩)
November 24th, 2025
無明住地を、あなたがよくご存知の兵法にたとえて説明してみましょう。
敵が刀を振り上げて切りかかってきたとします。
その刀を一目みて、「あっ、来るな。」などと思うと、相手の刀の動きに心がひきずられて、こちらは自由に動くことができずに切られてしまいます。
打ちこんできた刀を見ることは見るのですが、それに対して、ここで相手の刀を切りかえそうとか、どう打ちこもうかなどと思慮分別を一切持たずに、つまり少しもとらわれることなく、ただただ相手の刀に応じていけば、切りかかってきた刀をこちらにもぎ取って、かえって相手を切ることができるのです。
(「不動智神妙録」沢庵・池田諭訳)
大阪に帰省し、両親と間人(たいざ)に小旅行をした。
ランチに出石蕎麦でも、と出石に立ち寄ったところ、沢庵和尚ゆかりの寺(宗鏡寺)があるとのことで立ち寄った。
(映画「国宝」のロケ地となった出石永楽館も偶然発見し訪問した。)
そんなわけで、沢庵和尚の著した不動智神妙録を再読している。
これは、沢庵和尚が剣の達人である柳生但馬守にあてたものだ。
組手で相手と対峙しているときに「左を打ってきたらこう返そう」などと考えていると大抵はうまくいかない。
想定をするのは稽古のときだけである。
戦うときは、ただ状況に合わせて流れるのみだ。
思いと環境とのズレが命取りになる。
ブルース・リーも”Do not think, feel.”とか言ってたような気がする。
そんな感じでいこう。

宗鏡寺にて、聖地巡礼の気持ちがわかった


