言葉にすると嘘くさい

October 20th, 2025

友人からこんなメールをもらった。
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松井さんは、手の平と甲を交互にひらひらさせて
コレ、コレ、コレ、と表現していましたが、
これは、現在過去未来が連続的ではなく、
今、という感覚が断続的な”点の連続”という感じなのでしょうか?
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それにこんな返事をした。
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過去現在未来の連続性がない、ということは表現として「事実」に近いものがあるかもしれません。
ここで言うところの「事実」とは自分の認識(脳が五感から受けた情報とそれによって構成された世界)にとっての事実、我々人間の瞬間瞬間に生じていることです。

「私」にとって、過去や未来は脳内の記憶や予測といった形でしか存在しません。
つまり自分の認識にとって五感を通した現実感をもって(=事実)としてあるのは「今」しかない、ということになります。

掌をヒラヒラさせるのは、掌と背景の景色を分割して認識する意識、それを見る自分を分割する意識、それらは言語認識と密接に関係していますが、それが事実を事実として認識できなくなっている根源だよ、ということを言語表現を介さずに示しています。
この掌の例では、視覚的、空間的な分割意識についての指摘が色濃く表出していますが、現在過去未来がないよ、というのは、時間的な分割意識についての指摘がなされているとも言えます。

事実とは、人の認識によって時間的、空間的に分割される前の世界そのもののことです。
それは無我、無常とも表現されます。
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読み返してみると、語れば語るほど、嘘くさい。
このような分析こそが、我々を煙に巻く。
事実から我々を遠ざける。

事実は
「★とあれば★」
これで終わり。
コーヒーを飲んだらコーヒーの味がする。
それだけ。

言葉を減らそう、と思いつつこんな文章を書く矛盾を、しばらくは楽しもう。

柿のフリして仕事をサボってた