労働の質の転換
December 19th, 2025
雪かきシーズンが始まった。
氷点下の屋外でも雪かきをすると身体が熱くなり、黙々と雪を運び続けることで心は静かになる。
山歩きなどと違って意味のある運動でもあり、とても楽しい。
とはいえやはり忙しいときや疲れているときは面倒なものだ。
そこで除雪機購入を検討するのだが、除雪機を買うのは「楽になる」ということではなく「労働の質を転換する」というだけの行為だと感じて結局は買わないという結論になる。
札幌の大雪での使用に耐える除雪機は10万円ー50万円くらいはする。
その分を稼ぐ労働、購入後の除雪機のメンテナンス、保管スペースなど、除雪機を所有することによる金銭的・時間的コストが新たに発生する。
金銭的、時間的コストだけならまだしも、除雪機を管理する心理的な負担さえ新たに発生する。
つまり雪かきという行為を、他の行為に変換しているだけだ。
新たなモノを所有することによって、かえって面倒なことが増えるような気がするのだ。
より便利に、楽に、効率よく、と社会も個人も「発展」を志向する。
だが、より「複雑」になっているだけだと思うことがある。
なぜなら、数千年前も現代も人の悩みは変わっていないから。
生きること、老いること、病気になること、死ぬこと、それらに対する悩みは変わらず何一つ解決できていない。
Aという病気が解決されてもBという病気に必ずかかり、そして最後には必ず死ぬのだから、寿命がいくら長くなっても死や病気の悩みが解決できたとはいえないだろう。
もちろん、社会や医学の進歩が無意味だとは思わない。
だが外の世界を探求するだけでは片手落ちだ。
車の両輪のごとく自分の内側も耕さなければならない。
無心でやる雪かきも楽しいし、こんなことを考えながらする雪かきもまた、楽しい。
雪かきが楽しくなくなったとき、除雪機について改めて検討しよう。
そうやって自分なりのモノの所有についての基準を探っているのかな。

犬は蛇を怖がるかと思ったけれど


