基準をつくる
July 21st, 2025
参議院選挙がおわりました。
選挙がきちんとなされる民主主義国家で暮らしていることに感謝です。
今回の選挙ではないですが、ある党の党首が
「今回の選挙で党としての公約はない」と言っておられました。
これまでそんなことは聞いたことがなかったので新鮮な違和感が生じました。
公約=判断基準がなければ、何に向かって行動するのだろう?
余談ですが、中学生のとき森田塾という神戸の六甲にあるスパルタ進学塾に通っていました。
ビンタは当たり前の先生、「このドアホが!」と常に怒っている先生など精鋭揃いで今なら問題視されるであろう塾。
そこの国語の先生が、
「日本語の文章の終わりには「。」を打つんや、「?」とか「!」なんてないわ!英語とちゃうんやぞ、このボケがぁ!!」
と顔を赤くして怒鳴ったのが頭に残っており、今でも文章の最後に「?」や「!」をつけることに淡い恐怖感があります!!!!!!
話を戻して公約=判断基準。
基準がないのは、知らない夜道を目的地もなくナビなしで歩くようなものです。
そんな歩き方では、思わぬ出会いがあるかもしれませんが同じところをぐるぐる回ってしまうかもしれません。
精密なナビはなくとも、北極星くらいは必要です。
太気拳武禅会の稽古は、心身の基準をつくることを狙っています。
心の基準は、「いま、ここ」
つまりこのまんま、そのまんまです。
過去も未来も頭の中にしかありません。
人はいつも「今」のみに存在します。
これは時間的基準といえるかもしれません。
身体の基準は、「重力」
重力が垂直、水平の基準であり物理的な安定をもたらします。
重力があるところに物体のバランスが生じます。
これは自分の身体の空間的基準となります。
組手においても、ただ相手に勝つ、ということではなく、いかに自分の基準を維持することができるか、ということに焦点を当てます。
「基準性のある心身をつくる」ことが、平和な現代日本において武道をする意味のひとつであると、武禅会では考えています!!!!!!

藻岩山にて。重力に従い真っ直ぐ下がる蔦