20Oct
言葉にすると嘘くさい

言葉にすると嘘くさい

友人からこんなメールをもらった。 ーーーーー 松井さんは、手の平と甲を交互にひらひらさせて コレ、コレ、コレ、と表現していましたが、 これは、現在過去未来が連続的ではなく、 今、という感覚が断続的な”点の連続”という感じなのでしょうか? ーーーーー それにこんな返事をした。 ーーーーー 過去現在未来の連続性がない、ということは表現として「事実」に近いものがあるかもしれません。 ...

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17Oct
無心に、気は発露する

無心に、気は発露する

会員の松本さん。 親分肌で器の大きな人だ。 建設現場で働いておられるので、私のイメージは半纏を着た宮大工の棟梁。 以前は芦原空手をされており、組手姿もしゅっとしている。 彼から聞いた話だ。 ある日の建設現場のこと。 2階ほどの高さの足場で足元の工具を取ろうとしたら、そこに足場がなかった。 それで数メートル、落下したそうだ。 大怪我レベルの事故だ。 だが、気づいたら下で立ってい...

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13Oct
函館での稽古

函館での稽古

函館で毎年恒例となった太気拳の稽古会を開催した。 今回は長く稽古されている方の参加がほとんどだった。 修行とはなにかを身につけることではなく、削ぎ落とすことだと思う。 戦闘機やF1マシンは機能性のみをひたすらに追求した結果、美しい。 削ぎ落とした結果あらわれる美しさや強さがある。 修行で削ぎ落とすのは、「我」である。 自然のはたらきを邪魔する「我」をなくせば、気は自由に行き渡る...

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29Sep
精神の無秩序を整える

精神の無秩序を整える

「体操は身体の運動に対する正しい判断の支配であり、それによつて精神の無秩序も整へられることができる。情念の動くままにまかされようとしてゐる身体に対して適当な体操を心得てゐることは情念を支配するに肝要なことである。」 人生論ノート by 三木清 武術はまず型を通して学ぶ。 太気拳には型というものはないが、ひとつひとつの動きに原理原則がある。 原理原則・秩序のある動きを身体に覚えさせる...

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22Sep
少年たちに学ぶ

少年たちに学ぶ

太気拳武禅会では小学校2年生から70代の方までが稽古を楽しまれている。 皆さんから学びをいただくが、なかでも小・中学生の吸収力にはいつも驚かされる。 きっと固定観念といったものが、まだ少ないのだろう。 見たまま、感じたままをスッポリとマネする。 大人は、無意識に自分なりの解釈をして、それを表現する。 経験こそが成長であるが、それが邪魔をすることもある。 事実に「私なりの解釈」を加え...

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19Sep
希望を抱くのをやめれば不安もなくなる

希望を抱くのをやめれば不安もなくなる

希望を抱くのをやめれば不安もなくなる by セネカ ストイックという言葉がある。 「目標達成のため感情や欲望に流されず、自己を厳しく律し、努力を続ける姿勢」 いま世界陸上が開催されているが、参加選手たちはまさにこれの実践者だろう。 セネカはこのストイックという言葉の由来となったストア派哲学の代表的な人物だ。 彼の言葉のひとつが、冒頭の「希望を抱くのをやめれば不安もなくなる」。 ...

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15Sep
荘子 人間世篇7

荘子 人間世篇7

自分の心から門や砦を取りはらい、いっさいの警戒をすて去り、ここを自分のすみかとひとすじに定め、やむにやまれぬ必然の運命のうちに身をよせるならば、それで完全に近いということができよう。(中略) 幸福もまた、あがきをやめた空虚な心にこそ、とどまり宿るのである。 荘子 人間世篇7(森三樹三郎訳) 「今よりも幸福に、豊かに、健康に、なりたい。」 そう思う。 だけど実は、 「今よりも幸福...

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12Sep
「私」にとっての「事実」について

「私」にとっての「事実」について

科学的なこと、客観的なことが事実・真実というのが一般的な常識だ。 「火星に無人探査機が到着した。」 これは客観的な事実だろう。 しかしそれが「私」「自分という意識」にとっても事実・真実だろうか。 「私」は五感(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)から入力された刺激を脳などで処理した結果と、思いや思考、感情などが総合された主観の世界で生きている。 生まれてから死ぬまで、この様子のみである。 ...

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5Sep
「好き」で「それをやっている自分が好き」なことをやる

「好き」で「それをやっている自分が好き」なことをやる

人生は選択の連続だ。 どのような選択をするか、そしてその判断基準はなにか。 それがその人の人格やライフスタイルを決めると言っても過言ではない。 以前の私の主な判断基準は「損か得か」「それが将来、自分のためになるかどうか」であった。 進学や就職など、人生を方向づけるような大きな選択肢であればあるほど、その傾向は強く現れていた。 ところがここ10年ほどは、何かを選ぶとき「好きか嫌いか...

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1Sep
荘子 斉物論篇13

荘子 斉物論篇13

上古の人には、その知恵が、それぞれに到達するところがあった。 その到達したところとはどのようなものであったか。 最も高いものは「はじめからいっさいの物は存在しない」とするのであって、これは究極まで至りつき、すべてを尽くしたもので、もはやつけ加えるべき何ものもない。 これに次ぐものとしては「物は存在するけれども、その物には限界:他と区別される境界がない」というのがある。 さらにこれに次ぐもの...

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